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デマに負けるな!

 毎日コロナウィルスの話題で申し訳ないのですが、トイレットペーパーが無くなったり、いろんなデマが流れていますね。花崗岩から出る紫外線がコロナウィルスを殺菌できるだとか、アオサを食べると免疫力が上がってコロナにかからなくなるとか。

 明らかなデマから、エセ医療っぽいけど否定は大変そうなものまで、玉石混交、いやほとんどが石だとは思うのですけど、とにかくワアワア混乱しています。

 こんな時こそ、理性を大事にすることが大切です。医学的知識とまで言わずとも、科学的知識、統計的知識を持って社会に当たることが重要なんです。

 さて話は変わりますが、昨日食べたアオサの味噌汁がめちゃくちゃおいしかったです。えっ?!アオサが!?免疫力をあげるなんて!?そんなこと!信じてない!ですけど!でも!平積みしてたから!そのくらい買っちゃってもいいじゃないですか!買い占められるようなものじゃないし!アオサ美味しいし!ワッショイだぜ!アオサ、ワッショイだぜ!!!

 

 

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モスバーガーでドライブスルー勢をゴボウ抜きした話

 LINEで、「昼ごはん何食べる?」「モスバーガー!!」

 ということで、昼ごはんはモスバーガーになりました。夜勤明けから帰宅の途中、帰り道のモスバーガーに寄って帰ります。

 しかし、時刻は12時。私の住んでいるところはいわゆる郊外のベッドタウン的なところで、そこの住民のおよそ1割は「昼ごはん何食べる?」「モスバーガー!!」というやりとりをしますので、私がモスバーガーにたどり着いたとき、そのドライブスルーは何千何万もの住民で長蛇の列を作っていたわけですね。

 誇張しすぎたので正確に言い直しますが、それでも6台くらいの車がドライブスルーで並んでいて、私はもうドライブスルーの列に並ぶこともできず、とりあえず一般駐車場に車を停めました。これでもう一度ドライブスルーの列に並ぶのも、何だか面倒そうだったので、車を降りて店内で買うか、とテクテクと店に入りました。

 すると!なんということでしょう!店内はおどろきのガラガラ!!一人のおっちゃんが、端っこのほうで嬉しそうに何らかのバーガーを食べているのみ!ドライブスルーと店内のこの格差よ!?

 私は「しめた」とほくそ笑むと同時に、言い知れぬ罪悪感がこみ上げてくるのを感じました。このまま店内で購入すれば、ドライブスルーで並んでいる彼ら民をゴボウ抜きして、購入を果たすことができる。それは私が駐車場に停めて、店内まで歩くという一段階の上の努力を果たした対価とも取れるかもしれない、だけども店外の車の中でこの事実を知らずただ時間を待つ人のことを考えたら、それはフェアな行為と言えるのだろうか。

 私の中の天使と悪魔がお互いを睨み付ける。ただしそこで喧々轟々と議論を始めるほどのことでもない、結論は決まっているのですから。店内に入って、空のレジに行かない行為など現実的ではありません。私は逡巡を心に称えたまま、自動的に動く足に導かれレジに向かいます。遠く視界の端に垣間見えるドライブスルーの受け取り口を視線の真正面から捉えることができないまま、「南蛮チキンと…オニポテと…」と注文を呟きます。

 「そちらにおかけになってお待ちください」

 笑顔の店員さんに導かれるまま、私は腰をおろしました。そして考えます。私は何ら間違った行為はしていないけれど、このまま私がスムーズにモスバーガーを受け取り、そして店内から躍り出て、ドライブスルーの車の行列の横を通る時、果たして、その運転席に座るいくつもの目は、私をどんなふうに見ているのだろうか…。

 「お待たせしました」

 そんな一瞬の逡巡も許さぬように、暖かい袋が私の胸に渡されました。

 私は店外に出ます。

 視線は自分の車だけを見つめて…ドライブスルーの中からの視線と交差しないように…と歩みを進めるその時、ハッとしました。

 昔、医療漫画で、医療ミスのようなことをしてしまったときに、視線を合わせるのを避ける研修医に、家族の顔をまっすぐ見るように言うシーンがありました。その時、彼らがどういう表情をしているのか、それを逃げずに見ること。そうしないと、前には進めないということを、その漫画は伝えていました。

 

 そうだった。

 

 俺はこのゴボウ抜きを乗り越えて、前に進んでいかないといけないんだ。

 

 私の首はゆっくりと曲り、車の中の、運転席に向けられます。そこには、私を見返す運転手の視線が…。

 無くて、運転手さんは渡されてたメニューを一生懸命見ていました。何だかワクワクしているような感じに見えました。今ごろ、「焼肉ライスバーガーもいいなー!でもたまにはフレッシュバーガーなんてオシャレにやっちゃってもー?!ああーグラムチャウダーもつけちゃおっかなー!」みたいな感じなのでしょう。わかります!そういう考えてる時も最高に楽しいんですよね!そういえばさっき店内に入ってすぐに注文したから、あんまり考える暇もなくて何と無く勢いで頼んじゃったから、そういう楽しみ味わえなかったなー!世の中うまくできてるなー平等だなー!!

 で、帰って「モスバーガーうまいね」「うまいね」ともりもり食べて寝ました。モスバーガーおいしかったです。

消えたトイレットペーパーと獣ゆく細道

 トイレットペッパーが無くなるというデマ?でトイレットペーパーが店頭から消失したようです。

 日本には充分な量の備蓄があるそうなので、心配することは無いとのことですが、そうは言っても、トイレットペーパーが無くなってしまった時の絶望感たるやトテツモナイもので、その局地における不穏たる様相を想像しますと、やはり不安となるのが人情、流石に店頭に我も我もと走ることは理性が押し留めますが、我が家としても人に迷惑をかけない範囲での最大限の防御策を取りましょうということで、トイレットペーパーを使うときは不必要な量は使わず大事に使うということになりまして、妻が一回50cm、私が一回5cmまでという結論にたどり着き、これは基本的人権や法のもとの平等が侵害されているのではないかと震え拳を強く握り締め、しかるべき控訴を考えています。5cmて。

 さて、トイレットペーパーもそうですが、何かが無くなるかも!とか、何かがヤバイかも!と不安な事態が発生したときに、全員が冷静に動けば全員のダメージは最小限になると理性的にわかっていても、「私だけは助かりたい」的な動きをする人が一定数以上いますと、「やったもん勝ち」的な空気になってしまうわけです。トイレットペーパーがちょうど切れて、薬局に行ったら全て売り切れていてその絶望に膝から崩れ落ちた人も、日本全国に一定数おられたと思いますので、そういう方のことを思うと買い占めに走った人には憤りを覚えるのですが、同時に、でも、それは仕方がないことなのではと思う自分もいます。

 話は一旦変わりますが、大学で、動物を用いた医学研究を行っていた時期があったのですが、その時に、生き物は悲しいまでに遺伝子に囚われているなあと思いました。食べるとか、遊ぶとか、寝るとかいった行動は、理性で選んで一つずつの行動をしていると思いがちですが、その大半は遺伝子が予め基づいたプログラムに乗っかって動いているだけ、という感覚です。一つの遺伝子を少し変えただけで、食べる量が二倍くらいに変わる動物たちを見て、そう思いました。

 マウスも、ヒトも、そんな生き物ですので、今回のコロナウィルス騒動で不安が高まっている中で、ヒトが「生き延びよう」という行動を起こそうとするとき、理性的な行動を期待するのは限界があるのではと思います。「助かりたい、自分だけでも」という本能が理性を上回ってしまう。理性的な判断で動いているように見える専門家たちも、持っている知識が人より多いからこそ、それに守られて不安を感じずにいられるが故に、理性的(に見える)行動を取れているだけで、同じ人がその専門的知識を失っていたら、同様の行動が取れるかどうかはわかりません。

 

 こんなとき、椎名林檎さんの「獣ゆく細道」の歌詞が思い出されます。

本物か贋物かなんて無意味

能書きはまう結構です

幸か不幸かさへも 勝敗さへも

当人だけに意味がある

(椎名林檎「獣ゆく細道」)

 

 専門家たちはこういう混乱に走る方たちに理性的な助言をするよりも、本能に降りて行って宥めることがむしろ効果的だと知るべきです。それはヒトの野生に屈することかもしれませんが。

 

youtu.be

ベビーフットで驚きの赤ちゃん肌に

 政府が、「学校も3月一杯は休校です!」と何だか突然大きなことをしましたね。

 今まで何と無くホワッとした対策だったのが、急にブワッとした対策になってきたので、どうしたのでしょうか。でも、今までTwitterでは「ホワッとしすぎだろ!政府何やっとるんだ!ケンケンゴウゴウ!」という意見がたくさん目に入ってきたのですが、このブワッとした対策で良くやったぜやるジャン政府、みたいな感じになるのかな?と思いきや、「ブワッとしすぎだろ!共働きの家庭はどうなるんだ!ケンケンゴウゴウ!」という意見がたくさん広まっていました。

 人間怒りが行動に繋がりやすく、文句のほうが多く目につくのはもう仕方がないのかもしれません。というか、今は潜在的なパニックになっていて、恐怖を社会全体が感じているから、その恐怖を叫んでいるのかもしれませんね。悲鳴なのかもしれません。トイレットペーパーがなぜか店から消えているようで、こう言う時こそ誰かの極端の意見に流されて全員が動いてしまわないように、注意が必要と思います!でも私も一応妻に「家にトイレットペーパー残ってた?」と不安になりながら聞いたことは、もう人間ですから仕方がないことなのです!とにかく、みんな!落ち着きましょう!(トイレットペーパーを抱きしめながら)

 

 さて、そんな今だからこそ、私がみなさんにお勧めしたいのはこちらの「削らない角質ケア Baby Foot」です。このあまりにもスムーズな話題転換にみなさんも心躍られていると思いますが、あんまり出歩けない社会情勢の今こそ、フットケア!足を綺麗にする時間に当ててみるというのはとてつもなく生産性が高いアイデアではないでしょうか。

 私は以前から足のかかとが硬くなりやすくて、何ならひび割れてしまって、冬の乾燥する時期なんか油断すると血が出たりすることもあるくらいの重症でして、クリームを一生懸命塗ったりがんばっていたのですが、ここで一発根本的な治療を施したい、角質をガッツリ奪い取ってしまいたい!と一念発起しまして、買ってみました。

 このベビーフット、ベビーフットで画像検索すれば「えげつねえ」と思ってしまうくらいのちょっとショッキングな画像が出てくるくらい、足の角質というか、硬い皮膚がめくれ取れるという商品なのです。

 べビーフットで検索 (ちょっと苦手な人は苦手かもしれませんので注意)

 実は数年前にもやってみたことがあるのですが、その時は時は薬液に漬ける間が足りなかったのか、あんまり角質が取りきれず終わってしまったんですね。今度こそは、しっかり成功させて!赤ちゃん足を手に入れる!と意気込んでやってみました。購入、わくわくして帰宅し、お風呂でしっかり足を綺麗にしたあと、1時間ほど薬液につけておきます。じわーっと何と無くちょっとピリピリするような感じが、効いてる効いてる、という感じで、ワクワクしました。漬け終わった後、足をしっかり洗います。

 使用直後は変わらないのですが、これで2、3日後くらいからだんだんと皮がめくれるように、角質が剥がれてくるようになるわけです。とてつもなく楽しみで、仕事中にも時々靴下を脱いで、どうかな?そろそろ来るかな?とニヤニヤ足を眺めるヤバイ奴として過ごしていました。そして、いよいよこれでベビーフット開始から5日が経ちまして…いま私の足は…角質が取れることもなく…皮がめくれることもなく…何だか、ツヤが出ました!!!!

 

 ベビーフットはツヤが出ました!!!!

 

 

 

インフラが整ってないそうで

 「不要不急の外出を避けるように」と言われていますので、というわけではなんでも無くて、そもそも奇跡のインドアと呼ばれる私なので、必要火急の用件もなるべくオンラインで済ませたいわけで、現世の情勢に少しここぞとばかりに乗っかって、様々な会議や集会を中止にしております。

 もちろん私の一存で中止にできないものもありますが、これこれこうだから中止にすべきダと突然生き生きと饒舌になって回っています。いや、実際めんどうとかじゃなくて、今やるべきじゃないことは今やるべきじゃないですからね…いや本当に…本当ですよ…。

 でも、その代わりとして「オンラインでの会議」とか、「動画による配信」とかにすれば代替可能なものも実際多いので、そういう風にやりましょうと提言して回ったのですが、全然これがダメでした。「そういうインフラが整ってないから」と言われてしまいまして、私は「いやいやネットが見られる環境なら簡単ですよ、メールアドレスだけ教えてもらえば、動画へのリンクを貼るだけでもいいですし」と頑張ったのですが、「高齢の先生はコンピューターが家にない人も多い」とのことで、ウッソーそんなことあるーでもそう言われちゃあ諦めますッとゴロゴロと回転しながら退却してきました。

 何においても、こういう非常事態に備えて、予め準備しておくことが肝要とは思いますが、「必要は発明の母」と言うように、必要に迫られないと準備が出来ないのも真実です。でも、この理論では必要に迫られたときには準備ができていないのも必然になりますので、すごくどうしようも無い感があります。ですが、今回には間に合わなかったけれども、本当に必要だなあと感じた今こそ、次に同じことが起こったときに対応できるように準備を始めるってのが大事ですよね。落ち着いたら、「よくわかるパソコン教室」という勉強会を…予定しないなあ!きっと!

コロナウィルスの簡易検査を流通させるべきか?

 Twitterを見ていますと、「コロナウィルスの検査(PCR検査)をもっと沢山するべきだー!国民の不安の声に応えよー!」という意見(主に市民派)と、「検査をしても治療方針が変わるわけではないのだから、医療体制の保持の為、軽症なら検査はしないべき」という意見(主に医療者や厚生省)が、戦っております。

 

 私は、前者の気持ちもわかりますが、後者の意見に従った方が、社会としては平和になる可能性が高いと思っています。それは先日も言ったように、軽症の人が病院や検査機関に殺到したら、そこでコロナウィルスが広まっていく可能性が高いからです。ただ、その「軽症の人はなるべく自宅待機を」という理論のデメリットがあるとすれば、インフルエンザの治療が遅れることでしょうか。

 

 コロナウィルスと同じように、インフルエンザも肺炎になります。高齢者や持病のある方がそうなりやすいし、死亡者も出ます。そして、インフルエンザには劇的な効果ではないにしろ、治療薬があります。そのため、コロナウィルスによって受診を控えたが故に、実はインフルエンザの方でリスクが高い層に、初期に治療を施せなくなるのはデメリットと思います。

 

 ただ、それらのデメリットを踏まえても、今のコロナウィルスパニックになりかけてる社会をみれば、やはり軽症の方は受診を控える方針のほうが(社会全体としては)最大幸福だとは思います。しかし、個々人の気持ちを思えば、社会の最大幸福を求める気持ちよりも、自分にとっての最大幸福を追求したくなる気持ちは、あるものとして考えてしょうがないかもしれません。これは自己犠牲の精神とか、モラルの問題もあります。

 

 ただ、「自宅で簡単にできる検査キットができればよいのでは?」と思いますよね。現在病院などで行っているインフルエンザの簡易検査は、鼻につっこんで、液を垂らすだけなので、説明書を見れば、たぶん医療者じゃなくてもやれます。それらを市販することで、インフルエンザであることを早期に診断して、高齢者やリスクが高い人は早期に病院に受診できるようにするのはメリットがあるのではないでしょうか。

 

 それを言うなら「コロナウィルスの簡易検査キットを早く流布すべき」とも思うかもしれませんが、現在の研究室でやるようなPCR検査ですら100パーセント正確ではなく、偽陰性(本当はウィルスがついているけど、検査では出てこない)ことが多々ありますので、簡易キットならばもっとそういうことが出るでしょう。そうなると、仮に「コロナウィルスだったら仕事を休もう」とかそういう気持ちだった方が、実は罹患しているのに、簡易検査で陰性がでたので、これで安心と思って社会を歩き回る可能性があります。そうなってしまうリスクがありますので、やはり、そもそも調子が悪い方はやはり休むしかない、というのが今の結論だと思います。

 

 ただ、仮にそう言う検査キットが実装されたとしたら、「陽性と出た人が、普段以上に気を付けるだろうメリット」はあると思います。医師や医療者の意見では、「陽性であろうと陰性であろうと、最大限の伝染さない努力をすべきなので、検査をしてもかわらない」というものがありますでしょうが、現実問題、ちょっと風邪かな?くらいの気持ちと、コロナウィルス確定です!と言われた時では、一般の人が努力する程度は変わってしまうでしょう。そこを努力不足や意識不足と捉えるのは、性善説がすぎると思います。それに、ぶっちゃけてしまえばちょっと調子悪いくらいの医師だって多分大勢働いています。なんなら、当直明けの医師の100パーセントはだいたいちょっと調子が悪いので、それを全員休むように、というのは今の医療では無理でしょう(将来は目指すべきところですが)。

 

 ですので、私としては「自宅でできる簡易コロナウィルス検査(と簡易インフルエンザ検査)を流布しつつ、ただその結果が信頼のおけるものではないことをわかりやすく明記して使う」ことがベストなのではないかと思いますが、どうでしょうか。そうすることに、どのくらいの費用や労力がかかることはわかりませんので、コロナウィルスや、もしかしたら続く五輪中止に伴う不景気も考えますと、机上の空論なのかもしれませんが…1現場の医師としてはそう感じています。

 

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